チョムスキーさんに出会ってから [ことばと人間]

まみちゃんです。
上手くログインできなくて、ご無沙汰でした。ミヤミヤ~

BOSTONから1ヶ月以上あっという間に過ぎてしまいました。

私にとって、あの3日間は、なんだったのか?
そして、一緒に準備したり、その後のシェアで色々話しを引き出してくれている仲間にも、
どんな意味をもたらしたのか?
そして、それが日常の私たちの活動や生活に、なにか影響を与えたか?
いい効果がありそうか???
あれこれ考えもしましたが、
「自分の意識が、はっきりした」ってことが、私にとって最大の収穫だったってことかな。


人間のことばは、一つ。(○○語××語という形で現れるものはそれぞれ異なるけれど、根底にあるものは差生得的に人間に組み込まれたシステムで、人間誰もが同じ)。」
人は誰でも、どんなことばでも、話したいことばを話すことができる(必要なのはその環境で、能力ではない)」
それが、自分の中で、とてもクリアになりました。

だから、やっぱり大切なのは、『環境=場』 
 抽象的なイメージとしては・・・ 
    人がその人らしく在ることができる場、
    そこにいる人と何かを共鳴しあえる場、
    創造が発揮できる場、
 具体的にファミリーをイメージすると
    生き生き伸び伸び話し、ふるまうことができ、
    人の話すこと・体験を一生懸命聞いて受けとめようとし、
    自分の知らなかった新しい世界をお互いが見つけてける。  
    どんなことばでも、自分らしく口に出して言えて、
    分かっても分からなくても、人の話すことばに耳を傾け受けとめ、
    一緒に口ずさんだり、相づちを打ったり(泣いたり笑ったりも)しながら、
    一緒に思ったり考えたりして、共感できること・分かることを見つける。
   
   
また、「人とことばの自然」を科学的視点で捉えながら、多言語の自然習得を実践していく・・・・といっても、
やっぱりまだまだこれまで視野が狭かったかな、と思いました。
でも、一方で、
いろいろな国、幅広い世代、さまざまなバックグラウンドや考えを持った人との出会いがあり、
たくさんの人の体験から学ばせてもらったことが、どんなに豊かですばらしいことか!

 「ことばは、コミュニケーションのほんの一部」
 「音声でことばとして話しているのは、自分の中で思考していることばのほんの一部」 
だそうです。
 だとしたら、人は、何気なく人の話(ことば)を聞いているようでも、
実は、相手のしぐさ、表情、ことばの調子や声の様子などを含めて、
総合的に察知し想像力を働かせて、話(その内容)を聞いていることになりますね。
 きっと、話す時も、逆だと思えばいいですね。

”ことば”と”人間(その行動や思考)”の切っても切れない深~~~い関係。 改めて、ことばが、愛おしいものに思えます。

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