タイ語が話せる! [自然習得]

 ハッティです。
  
 タクメイがタイから帰ってきて、楽しそうな報告をきいていたら、タイ語が話せるような気がしてきた。

 今年はずっとCDを聞いている。タイ交流参加者にもたくさんあって、いつの間にか音にもいっぱい触れている。

 先日、タイから来ている高校生にCDから聞こえてくる気になる音を言ってみた。
 「わからない・・」と言われ、CDを聞いてもらうと、「あ~!」とわかってもらえる。

 そんな感じで私のタイ語はいい加減だ。
 でも、そんなやりとりを楽しくしたあと、タイ語が話せる気がしてきた。
 タクメイの交流話をタイ語でしてみた。気持ちよく話せた!

 話は変わる。先日アメリカからのインターン生のダニエルが名古屋に数日間滞在した。
 
 我が家にも一泊ホームステイすることになったこともあって、たくさん話す機会があった。
 ダニエルは昨年9月に来日、初めは話せることばは4,5語。それが今では何不自由なく話している。その過程の話はまた別の機会に書くとして、とにかく日本語でずっと話していた。

 ところが、彼が帰ったあと、とにかく英語が話したい私がいた。簡単な英語だけど、気持ちよく出てくる。

 音に触れ、人に会い、その中で楽しんでいる という二つの共通点。

 その環境の中にいることが嬉しい。

マジ、最高っス!スッジョォーイ! [ことばと人間]

 大学生で初めてホームステイ交流を体験したタクメイが、交流先のタイから帰国しました。
昨日のファミリーはその報告でした。

 タクメイの話は、「人間って何?」に迫る話だったと思います。

 「身も知らぬ外国からきた自分のことを、どうしてこんなに良くしてくれるんだろう??」
から、彼の話は始まりました。
 ステイ先では、ほとんどお金もつかわず自分のことを食べさせてくれて、いろんなところに連れて行ってくれて、それはそれは、そんなにまでしてもらわなくても・・と思うほどで。

 それに対して自分が言えることは「コンプンクラップ」というありがとうのことばだけ。

 もっと話せたら、いっぱいお礼も言えるのに・・
  
 出来たことは、お手伝いの皿洗いだけ。

 
 でも、話せないながらも、聞き覚えのあるタイ語をいっぱい口に出し、どんどん真似をし、気持ちはいっぱい伝えることができた。ことばは有っても無くてもできることはある。
「ことばは紙一重」だと感じたと話しました。

 このことばに榊原さんの言う「人間=ことば」が重なりました。

 ことばで伝わる部分は一部かもしれないけど、人間は生きるためにその「ことば」を手にいれたわけで、その一部である「ことば」が+されることで完成するみたいな。

  一度の体験でそこまで感じるなんて、ホームステイは凄いなと改めて思いました。

  タクメイの感受性もすごい! そして彼の交流を支えてくれたファミリーのみなさん、聞いてくれてシェアしてくれる人がいてこそ。

 サッカーが大好きでボールを持っていった彼。結局ホスト家族はサッカーをするような家族じゃなかった。でも、自分の代わりにと、サッカーボールを置いてきた。そのボールは、高校時代ずっと手元におき、大切にしてきたもの。

 どれだけ彼がそこで幸せだったかがわかります。

 「もっとここにいたい!」 という気持ちを残して帰ってきました。

 何故、どうしてと「?」をいっぱい作ってきた旅でした。その「?」の答えを見つける旅がまた続いていきます。

 彼の話を字に起こすのは難しくて、どこまで伝わるかわかりませんが、彼の話にとっても感動したのです。これから何を見つけていくのか・・楽しみです。      ハッティ

必要? [ヒッポ]

すらまぷたん♪ なまさや SARNIN。

先日、ヒッポに体験に来てくれた方が、体験はとっても楽しかったし、ヒッポの考え方は大賛成だけど、今はまだうちの家族には必要ないんだ、と話してくれました。

夫さんに必要なのはビジネス英語、お子さんにも自分で英語を教えている、今の環境でたくさんのことばの必要性がないから、と。


この辺にも、外国から来た人がたくさん住んでるんだよ、と言ったら、ホントに?と少し驚いていたようでした。


それを聞いて、私は、以前出会ったミャンマーのお友達のことを思い出しました。

数年前、「にほんごであそぼ」という、日本在住の外国の方とお友達になる会をボランティアでひらいていました。
ある日一人のミャンマーの女性が参加してくれました。夫さんは日本の方で、何年か日本に住んでいるけれど、まだ日本語は少しおぼつかない、という感じの方でした。車にも乗れないので、自転車で30分もかけて来てくださいました。

初めてだけど、どうかな?と思いながらランチに誘うと、「私が作るからうちに来てください」とのこと。初対面なのに図々しいかな、と思いつつお邪魔して、おいしい本場のタイ料理をごちそうになりました♪(タイとの国沿いのご出身で、ずっとタイで暮らしてらしたそうです)。

恐縮しながらお礼を言う私たちに、「うちに友達が来てくれて一緒にご飯を食べたのは初めてで、とても嬉しい!」と。

私は本当にびっくりしました。大きなマンションで人もたくさん住んでいるし、お子さんも保育園や小学校に通っていて、こんなにたくさんの人に囲まれているのに、今まで友達がいなかったなんて…。


たしかに、多言語なんてなくても楽しく幸せに暮らしていけるだろう。そっちの人生も悪くない。

必要になったら、必要なものをとりいれる。それも当たり前のことだ。


でも、多言語を知ったから、多言語が必要な環境がそこにあることに私は気づいた。

妊婦になったら、町に妊婦がたくさんいることに急に気づいたり、しんどいのがわかるから電車で席を譲ってあげたくなったり。
ベビーカーを押してみたら、いかに段差がたくさんあるのかに気づいて、車いすの人は大変だろうな、と思いをはせたり。

何かを体験すること、知ることで、自分の見ていなかった世界があることに、気づく。世界が広がる。


彼女と同じマンションに住んでいる人の、誰一人悪気があって彼女を無視したわけではないだろう。ただ、普通に自分の生活を送っていたら、彼女と接点がなかった。それだけのこと。

現に、私の住んでいたアパートの人は、ヒッポをやっていたわけではないけれど、1階のフィリピンのママとも仲良くしていたし。でも、タガログ語で話してみようとした人はいなかったかも。


多言語人間になるということは、どんな人にも心をひらける、その人のことばに耳を傾けられる人になるということ。

それって、必要な人と必要じゃない人をわけない、必要なことと必要じゃないことをわけない、出会ったすべてを受け入れてみる、ってことかな?


多言語をやってない人が心を閉ざしてるとか、心が狭いとか、上から目線で押し付けたりお説教したりしたいわけじゃないんです。多言語やってなくても、私なんかよりもずっとずっとオープンハートな人、素敵な人、世の中にたくさんいます。体験に来てくれた彼女もそう。ヒッポやらなくても、外国の人とだって、どんどんお友達になれちゃうしね♪

それでも。

私にも、まだまだ私の見ていない世界がきっとたくさんある。誰にでもきっとある。すべてを知って、すべてが見えるようになる人なんて、きっとこの世にはいないはず。
だから、一緒に、世界をみつけあっていこう、ひろげあっていこう。みんながそうしたら、きっと世界がもっと楽しくなる。

だって、私は別にミャンマーの彼女のために無理してがんばったわけじゃなくて、わーい!タイ語だ!しゃべりたい!タイ料理だ!食べたい!おもしろい!出会えて楽しい♪仲良くなれて嬉しい♪って思ってただけだもん。そしたら、喜んでもらえたんだもん。

そして、そんなことをやっている人たちの中で、子どもたちも育っていって、自然に、人をわけず、広い世界を見ていける人になってくれたらいいなー。

そんなことが、多言語必要じゃないわ、と思ってるみなさんに伝わったらいいな、と思うんだけど。どうでしょう?伝わってる?


彼女が体験の感想を聞かせてくれたので、私もあらためてこんなことを考えてみることができました。人と会って話すと見えてくることがたくさんあるね。感想聞かせてくれて、ありがとう!テレマカシ~[黒ハート]
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やっぱり環境ですね・・ [自然]

 2週ぶりにゆっこがファミリーに参加。「札幌雪祭りに各国のモニュメントがあった」と、タイに行くタクメイと韓国に行くマオリンにそれぞれの国の雪像の写真をお土産に持ってきてくれました。旅先で皆のことを気にかけてくれるのがとても嬉しいです。

 さて、昨日のファミリーは少し私が話しすぎたと反省しきりですが、リモーネに起きていることが面白かったのでちょっと報告。

 「CDを家でかけておくことで、話せるようになっていくことがまだ信じられない」というのがリモーネの見解。(もちろん、かけておくだけでは話せるようにはならないのだけど、まず聞こえる環境が大切ということです。)

 「今日はスペイン語を聞いてきた。」リモーネ曰く、これは覚えようとして意識して聞いたものでかけながしているのとは違う。「聞いてたら、由布ちゃんがWSで「ム~イ」「ム~イ」って言ってたのが聞こえてきて、なんとなく意味もわかった!」と。

 ん? この「ム~イ」は覚えようとして聞いてた音なの?

 由布ちゃんの話はスペイン語で水が流れるように勢いよく話されていた。その音を全部覚えようとして聞いていたの?
 いえいえ、そんな訳ありません。

 でも、覚えようとしてなくても自分の中に音が入っていたんです。それが、CDを聞いたときに引き出されたんです。しかも、由布ちゃんの映像とともになんとなくの意味までついて。

 もちろん由布ちゃんの話は、能動的に聞いたものだから、かけ流している状態とは違う。

 でも、環境として自分の周りにそういう音が聞こえてくる状態を作るという意味では、同じなんじゃないのかな・・
 CDをかけるというのは、音が聞こえる環境をつくるということ。

 その音を意識して聞くことと、無意識だけど聞こえていることの違いは、私にはまだよくわからないけど・・。

 ただ面白いのは、頭で考えることと、実際自分に起きたことが違ってるということ。まず、自分に起きたことを真摯に見つめることが大切と、リモーネを見て思ったことです。

 みんなに起きてること、自分に起きてること、それを「こういうはず」という前提を取り除いて見てみるから面白いんだろうな・・と思った出来事でした。

 最後にマオリンが、国内ホームステイのことをアルバムを見せながら、韓国語で話しました。誰が教えたの?? 私は何も言ってないよ!

 あ、これも新春WSで、韓国交流に行って来た女の子がやってたことだ。人に出会う、真似する、そんな環境が、生き生きと韓国語で話そうとするマオリンを創り出している!! すごいかも・・                    ハッティ

稲佐の浜に立って。 [自然]

 先週末出雲大社を旅してきました。

 ヒッポ仲間が生まれ育った出雲大社にお墓参りに行く旅に、一緒に行くことになり、久しぶりに「古事記の暗号」を引っ張り出し読みました。

 ヒッポの活動「トラカレ」で古事記・日本書紀・万葉集を「古代日本は多言語国家だった」という観点で、韓国語、中国語、そして易の思想で読み解いた暗号本が出版されています。

 とくに「古事記の暗号」は、日本神話の「やまたのおろち」や「いなばのしろうさぎ」に込められた意味を易の思想で読み解いていて、とても面白いものです。

 大国主神の名前がいくつもあるのは、名前に大きな意味が込められているからということ、「いなばのしろうさぎ」は何故出会った動物が「うさぎ」で、何故「白い」のか、そして「いなば」の意味は・・
 また、この話の舞台が何故あの地なのか。

 一つ一つに、古代の人が、先の時代の人に伝えたかったことが含まれています。

 ヒッポの活動を始めたことで、こういう視点からものを見ることを知ることができました。

 ほんの少し前までは、どこの神社に行こうと、ただなんとなく手を合わせるだけだったのですが、最近は、この神社の神様はだれかな・・なぜこの地にこの神さまなのかな・・なんて、ちょっと興味が湧いてきて、とても楽しいです。

 さて出雲では、一畑電車から宍道湖に沈む夕日が見たかったのですが、少し時間が早すぎたようで、湖に反射する眩しい光を見ました。

 残念がっている私に、「稲佐の浜に沈む夕日に間に合うんじゃない?行ってみようよ!」と
声をかけてくれた仲間たち。
 出雲大社駅前にいるタクシーに飛び乗り、浜に着いた時は、今まさに沈んでいく太陽が目の前に。
 
 夕日に誘われ、私たちと同じように何人かが集まっていました。夕日に向かい二礼四拍するおばあちゃんもいました。
 
 感動の瞬間でした。

 大国主神がなぜこの地で国譲りをしたのかは、とうていわからないけれど、それでも、ここに立って、それに思いを馳せることができたのは幸せなできごとでした。
                             ハッティ

 

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